"国民の意思とはどういうものかと考える
たとえばポツダム宣言、無条件降伏、9条を含む日本国憲法、教育基本法、新民法などについて
当時の日本国民に投票してもらったら、全部拒否ではないだろうか
敗戦によって押し付けられたものに違いない
だからそこには国民の意思はない
しかし結局時間がたってみれば、国民はそれら一連のものを幸福の根源として受け止めている
辛苦からの解放ととらえている
むしろ人類史的な進歩ととらえている
しかしながら、当時のリアルタイムの意識から言えば、国民の真に望んだものではなかったといえるだろう
明治憲法や教育勅語などもそうだろう
制定時に国民投票すればたぶん否決されていたのではないかと思う
国民の多数というものは、真の理性的判断力にはやや遠く、また、当然のことながら、幅広い情報に触れることもないのである。そんな人たちに、何か大事なことを決めろというのも大変な困難を押し付けていることになるだろう。
ところが、そのような国民であることを理解して、慈父のような立場でものごとを決めてやる指導者ばかりではなかった。そのような国民であることを理解した上で、国民をだました指導者も多かったと思う。実際には半ばだましつつ、半ば先進的な判断に導いたといえるだろうか。
今回の戦争法案(安保法案パッケージ)についても、シナリオを書いたのはアメリカの戦争屋とジャパンハンドラーズであり、役者が安倍だったというだけのことである。岡田でもよかったし、誰でも同じである。顔が違うだけで、セリフは同じである。ジャニーズの岡田君でも、横須賀の小泉君でもよかった。
今回安倍が強行採決して決めたとする。国民は自民党に反発して、次は別の政権を選択したとする。そのとき、新政権は、今回の強行採決による戦争法案を改めて廃案にするだろうか。とうぜん、アメリカのシナリオがあるのだから、そんなことはしないだろう。新党の新指導者の下で、アメリカ軍にくっついて、カナダ、オーストラリア、韓国、日本と桃太郎と3人の家来みたいな感じで世界中で迷惑なことを続けるのだろう。
根本的に、アメリカのシナリオを演技するだけの政治家であることは嫌だと表明すれば、アメリカは強行手段をとるのだろう。つまり、消される。
中国の脅威や北朝鮮の狂気が宣伝されているのであるが、どうだろう。まずアメリカと中国は、日本を頭ごなしに飛び越えて何やら世界二分割くらいの話をしているらしい。ヨーロッパは別にして、太平洋は広いなあ、どこらへんで分けようかと話している。その話の中では日本も韓国もあまり問題にならない。お互いがほしいところを決めるだけだ。
アメリカの日本駐留軍は、中国と話がついた以上、長居する理由はない。グアムくらいにひっこんでいればいい。
日本を守るというのもどういう意味か、微妙なところである。先制第一撃の攻撃で日本国土と国民はおおかた破壊されるだろう。無防備な原発がいくつもある。ミサイル迎撃システムなど現状ではむつかしい。結局、その時点からの反撃は、日本は助けられなかったが、アメリカは守るというものになるのだろう。まあ、アメリカ軍が反撃しなくても中国はアメリカ本土に対して野心は持たないだろう。
常識として、先制第一撃を抑止するのは困難である。できるとすれば、外交であり、経済であり、文化である。そこまで考えるのは容易であろう。
ただ、地域である程度の緊張があり、その場合の警察官は誰であるかということを示威する必要はある。そこで東南アジアでは中国とアメリカが対立するように見せて、アメリカの代わりに日本がでしゃばったことにする。そうなれば、中国は日本をたたいて、東南アジアの警察であることを宣言できる。アメリカは「もうこれ以上はやめろよ」と言う、といういい役をもらう。国際化の遅れた独自規格の国、日本としてはそんな役まわりなのだろう。"
"とりあえず安倍政権を打倒するのはよい。しかし次に登場する政権はどれも、戦争法案を廃案にはしてくれないだろう。たとえば民主党。反対の論陣を張っている人たちは、次に政権をとっても、重要ポストにはいない予定の人たちではないだろうか。重要ポスト予定者たちは今静かにしている。そして彼らはやはりアメリカには反抗しない。"
"日本国憲法だって押しつけだと言いながら結局みんな大好きになったではないか。
戦争法案だって、結局みんなのためになるんだよ、といわれればどうだろう。
要するに国民はばかなんだから言うことを聞いたほうがいいというわけだ。慈父である私を信用しなさいというわけだ。
そうかもしれない、総理大臣に集まる情報の量と質は、一国民が新聞やテレビで見る情報とは別次元のものだろう(もし理解力があれば)。"