“オーウェルの『1984年』のパロディであるアップルコンピュータのテレビCMで印象的に描かれたように、パソコンは集中管理に対抗する武器であり、企業メインフレームとその有力な生産者であるIBMのビッグブラザー的支配権を破壊する手段であった。 オフィス労働者は、自前で購入したPCをオフィスに持ち込み、自分の机に設置するようになった。PCによって力を得た従業員たちは、企業システムを迂回して、自分たちが使用しているデータとプログラムの支配権を獲得した。 PCの利用者たちは自由を勝ち取ったが、その過程で、彼らの仕事

“オーウェルの『1984年』のパロディであるアップルコンピュータのテレビCMで印象的に描かれたように、パソコンは集中管理に対抗する武器であり、企業メインフレームとその有力な生産者であるIBMのビッグブラザー的支配権を破壊する手段であった。 オフィス労働者は、自前で購入したPCをオフィスに持ち込み、自分の机に設置するようになった。PCによって力を得た従業員たちは、企業システムを迂回して、自分たちが使用しているデータとプログラムの支配権を獲得した。 PCの利用者たちは自由を勝ち取ったが、その過程で、彼らの仕事を監督して指導する官僚組織の能力を弱体化させた。コンピュータ史の専門家ポール・セルージの言葉を借りれば、企業経営者と部下のIT部門責任者たちにとって、仕事場へのPCの流入は「旧約聖書の災厄」並に厄介だった。 しかし、支配の崩壊は、束の間の出来事だった。かつては自立していたPCは、クライアント/サーバシステムによって会社情報とソフトウェアを蓄積する中央記憶装置につなががれているネットワークに接続された。つまりクライアント/サーバシステムは、官僚が情報とその処理に対する支配を回復するための手段だった。 皮肉にもPCは、いったん企業システムにネットワーク化されてしまうと、企業が従業員の仕事ぶりを以前よりも厳しく監督・構築・指示することを可能にしてしまった。ローカルネットワークは、パーソナルコンピューティングから”パーソナル”を外してしまったとセルージは言う。 職場でPCを使用している人々は、このファウスト的な契約を受け入れてしまった。コンピュータに詳しい人は抵抗したが、オフィスで働いている人の大多数は、そうすることによってそもそもパソコンの発明をもたらした力から離れてしまうことに、ほとんど気付きもしなかった。”
— 『クラウド化する世界』