精神科についての理解

精神科についての理解

裁判官の場合

世間の人の精神科についての理解はどんなものだろう。いろいろな誤解や偏見も理由のあることだろうからそれはそれとして、先日、裁判官の抱く精神科についてのイメージが問題になった。
 これは判決文の中で明白に示されるので、単に誤解だといってすますわけにもいかない面がある。
 そのときの話はこうである。どうしても死にたいと言って危険なので精神科病院に入院してもらった。しかし病棟内で自殺してしまった。そのときの病院の責任はどうか。裁判官はカルテにより、医師の診察頻度や観察内容を吟味する。看護記録により、看護の密度や観察内容を知る。
 しかしそれらは裁判官に知らせるために書かれているわけではないから、当然省略もある。現場の人間なら当然こう解釈するが、知らない人はこんな風に誤解するだろうなと思われると、その通りに裁判官は誤解する。
 極端な例では、診断がうつ病なら、自殺に関して注意義務はハードルが高くなる、それ以外の診断であれば、自殺は偶発的なもので仕方なかったと考えた人もいるらしい。(そのときの弁護士さんの説明ではそんな感じでした。わたしは実際の判決文を検討していません。不正確かもしれません。)
 看護士の見回りが15分に1回がいいか、30分に1回なら充分か、1時間に1回ならどうかなどの点も論点となったらしい。
 島根県では司法修習生が精神科病院に一日体験入院するという。そのようにして精神科についての理解が深まるのはいいことだと思う。

保護者の考え

またこんな例もあった。
 患者さん本人は自分のことを病気だと思っていない。相談を受けたお医者さんは入院が必要と判断して、ご家族に説明した。もともともめている家族だった。妻は入院に反対した。両親は入院に賛成した。法律としては妻の同意が優先順位が高いので、入院に関しての同意は得られないことになる。しかしお医者さんは妻の態度、言葉からして、妻もおそらく病気ではないかと思った。さらに難しいことに、妻は外国人で日本国籍がないのだという。(わたしは不勉強で、日本人と結婚したら日本国籍になるのかと思っていた。そうでもないらしい。選択できるのだろう。)両親は「日本国籍のない妻に保護者たり得る資格があるのか」と言ったらしい。法律としては国籍は問題なく、戸籍上の妻であれば、保護者として適格だそうだ。結局入院は見送りである。
 法律はそうなる。しかしその先のこととして、妻が病気ではないかと疑った医者の判断は宙に浮いたままである。法律は一般的な常識判断を抽象化して条文としてまとめたものであり、さらにその運用に関して人々の知恵が結集されてゆくものであろうが、微妙なところでまだまだ届かないと思う。