家庭内暴力

新聞から
――家庭内暴力に結びつく背景に何があるのでしょうか。
 一般的には、家族が本人を責めることです。本人の人格を否定したり、怠け者扱いをしたり、「早く仕事をしろ」などと追い詰められると、それに対する反発として暴力が起こる、という構図があります。皮肉や嫌みを慢性的に言われたり、否定的な言動で苦しめられたりしている当事者は多いです。私が今までしてきた仕事の半分ぐらいは、家族に、本人に対する批判や否定をやめてもらうことでした。
――やめるだけで、変わりますか?
 かなりの割合で、親からの暴言や批判に反応して起こる暴力があり、これはやめれば暴力が終わります。やめて、本人の話をちゃんと聞く、と切り替えれば終わる暴力がいっぱいある。まずは親御さんが自分の胸に手を当てて、本人を追い詰めていないか、振り返って頂きたい。
 本人は、親が自分をコントロールしようとしていることに非常に敏感で、怒りを感じます。枕元にアルバイト雑誌などを置いておき、「これを見て奮起しなさい」といったやり方はほとんど嫌がらせです。見てほしいものがあったら直接渡して「読んでくれるとうれしい」と言うぐらいの感じでやってほしい。
 一方、刺激しなくても起こる暴力があります。「慢性型の暴力」です。家族は特に何もしていないけれど、本人がささいなことに言いがかりや難癖をつけて、暴れ出す。例えば「ご飯がまずい」とか「タオルを交換していなかった」とか。これは比較的やっかいです。家族は何をどうしたらいいか、わからないからです。
 長らく密室的な親子関係が続いていると、本人が自分のこれまでの人生に対してすごく否定的な思いを抱いている。「自分の人生は価値がない」「自分は生きている意味がない」「惨めだ」。その思いを、自分1人では引き受けられない。「こうなったのは自分のせいだけじゃない」「親の育て方がまずかったんだ」。様々な思いが渦巻いていて、他責的になりやすい。他責的になってしまうと、親にぶつけずにいられなくなってしまうことがあります。これが慢性的な暴力の根源にあります。
「怒り」ではなく「悲しみ」
 これは「怒り」というよりも「悲しみ」なんです。決して暴力を振るってすっきりするわけではなく、振るった自分を責めているんです。それでも、やはり暴力を振るわずにはいられないつらさ、悲しみがある。暴力を振るってもつらいが、振るわなくてもつらい、という悪循環です。
 さらに暴れる理由には、親に「自分の苦しさを味わえ」「共感せよ」と言っている意味もあります。受け入れがたい無理難題を言ってきたり、「聞かなかったら暴れるぞ」と言ったりして、実際に暴れる。親の服を全部水浸しにしたり、ハサミで切り刻んだり、部屋に何かをばらまいたり、といった嫌がらせもあります。それは「自分のつらさを知れ」「なぜ自分はこんなにつらい思いをしているのに、お前らはのうのうと日常生活を送っていられるんだ」という主張でもある。
 明確に意識しているというよりは、そうせずにはいられない。半ば衝動的にやっている感じに近い。根源にあるのは、怒りや攻撃性というよりは、悲しみであり、その悲しみを分かってほしいという思いだということは踏まえておいて頂きたいです。
暴力を受け入れてはいけない
――具体的には何から始めればいいでしょうか?
 まずは本人の言葉、訴え、恨みつらみをちゃんと聞いてほしい。しっかりと。聞くだけで一切反論しない。弁解しない。ひたすら聞く、という姿勢でやって頂きたい。これは、難しいです。親御さんも、責められれば、つい自己弁護してしまいます。でも、ちゃんと聞くと収まるんです。遮ったり、反論したりすると、ずっと終わらない。「毎晩、恨みつらみをぶつけられて困る」という相談もありますが、それはちゃんと一回全部、言葉を受けとめるという作業をやってないからです。
 ただ、日本語の「聞く」には、「耳を傾ける」という意味と、「言いなりになる」という二つの意味があります。すごく混同されやすい。私が言っているのは、あくまでも「耳は貸すけど、手は貸さない」ということ。つまり「要求はのまなくていい」ということです。「100万よこせ」などと慰謝料を求める人がいますが、「それは出来ません」とはっきり断ってください。「出来ない理由は?」と聞かれたら、「それは、したくないから」と答えてください。それで十分です。
 一番やってはいけないのは、「暴力を受け入れること」です。かつて、カウンセラーや支援者の中で、全てを受け入れる「全受容」ブームというのがあった。「暴力は愛を持って受けとめましょう」という考え方ですが、これは間違っています。根拠もありません。結果として、ほんの一握りの人でうまくいったケースがあり、すべて受け入れたら、本人が反省し暴力をやめてくれた、という実例があるようです。ただ、それよりもはるかに多い割合で、受け入れた結果、トラウマになり、文字通り心身ともに傷だらけになって、耐えられなくなって、子殺ししてしまう、というケースがありました。