みんなが幸福になるという矛盾

みんなが幸福になるという矛盾。
幸福という言葉の定義によるのだが
多分、一面では、
幸福とは、過去と比較して、また他人と比較して、
つまり何かと比較して、より幸福だと感じるものであるらしい
ということは、比較された何かはより不幸なのであって
したがって、みんなが幸福という概念は矛盾なのである。
希少価値の専有が幸福と関係しているという見方もある
酸素や日光や風に接することは、考えてみれば、実に本質的に幸福なのであるが、
しかし、そんなに激しい幸福だとは思えないのは希少価値がないからである
昨日までもあったし明日もある、ほぼ誰にでも体験可能である。
限定された機会に、限定された人にだけ体験可能なものは希少価値が生じ、
幸福感につながる。
ここでもやはり、みんなが幸福ということは矛盾を含む表現である。
しかしながら、そうした幸福感のなんと惨めでつまらないことだろう。
近代社会で中間層が出現したことは
資本主義や民主主義と繋がったことであるが
中間層の幸せとはみんなが幸せになるという矛盾を含んでいて
かろうじてその矛盾を回避するのは
悲惨な戦争時代と比較するといまはみんなが幸せだという感覚だろう
幸せを守るために悲惨な戦争をするという矛盾を決行するのであるから大変な話であり
その矛盾に比較したらみんな幸せという矛盾のほうがまだ信じやすい
現代の戦争はまずは情報戦である
どうしようもなくなって実弾を使うとしてもドローンで爆撃すれば足りる
(この時点で、戦略としては失敗している)
キャノンとかソニーを組み立てただけのものを大金をはたいて言い値で買う
ロケットを迎撃する兵器があるのだから何も心配はないと思うのだが
大いに慌ててみせて
更に買い増しをするのはどうしたことだろうか
悲惨な戦争の前の悲惨な準備である
そしてそれもまたみんなの幸福を守るためというのである