” 今ではほとんどが蘇生後脳症の遷延性意識障害の患者ばかりになってしまったが、うちの病棟は本来ALSや筋ジストロフィーなどの神経難病の進行で人工呼吸器管理が必要になった人たちのための病棟である。あるとき在宅で介護を受けてきたのだが、肺炎で急激に呼吸状態が悪化し、救急搬送された先で挿管されて人工呼吸器をつけることになった神経難病の患者が転院してきた。身体症状の進行でもうすでに在宅での介護に限界を感じ始めていた家族も、介護の上にさらに人工呼吸器管理が加わるのはもう無理だということで、退院し在宅に戻るのではなく

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今ではほとんどが蘇生後脳症の遷延性意識障害の患者ばかりになってしまったが、うちの病棟は本来ALSや筋ジストロフィーなどの神経難病の進行で人工呼吸器管理が必要になった人たちのための病棟である。あるとき在宅で介護を受けてきたのだが、肺炎で急激に呼吸状態が悪化し、救急搬送された先で挿管されて人工呼吸器をつけることになった神経難病の患者が転院してきた。身体症状の進行でもうすでに在宅での介護に限界を感じ始めていた家族も、介護の上にさらに人工呼吸器管理が加わるのはもう無理だということで、退院し在宅に戻るのではなく、うちへ転院してくることを選んだのだ。
ある夜、夜勤中に痰の吸引をしていると患者が何か言いたげなので、透明文字盤を使って聞いてみると「いえにかえりたい」と言う。もう人工呼吸器がついてるし、これを外して家に帰るのはちょっと難しいわね、とわたしが言うと「はずしてほしい」「くだ(挿管チューブ)をぬいて」と言う。
「でもそうしたら息ができなくなって止まっちゃうよ、苦しいよ」と言うと
「もうしんでもいい」
「いえでしにたい」
わたしはそれ以上会話を続けることができなかった。患者も以前から呼吸状態悪化の際には気管切開をして人工呼吸器をつける選択をしていたというし、そうなれば在宅介護はもう無理だと家族から話を聞いて納得していたはずである。その時わたしが感じたのは、患者の希望通りにさせてあげたいという気持ちでもなく、どうしても引き止めて説得し生きる気にさせなくてはという気持ちでもなかった。批判を恐れず率直に言えば、なぜ今になってそんなことを、よりによってわたしに?という、もっと正直に言えば「面倒な話を持ち込まれたな」という当惑しかなかった。わたしがただのパート看護師ではなく、もう少し裁量権のある医師だったとしても、この決断はどうにかできる種類のものではなかったし、そんなこと言われても、と当惑するのは同じだったと思う。そしてこうした生死についての決断をいわば巻き込まれたくない「厄介な話」と捉えていた自分に気づいて愕然とした。
そして福島の因業医者に会ったとき、こういうことがあって数日えらくヘコんだという話をしたら「そんなん言われたら俺だってヘコむわ。アホかお前は、そういうときこそすぐ電話なりメールなりしてこいよ」と言うので、30年医者やっててもまだヘコむことがあるのかと少し驚きつつも、本人も人工呼吸器つけて生きていく気でいたんやけど、いざ入院して周りを見たらみんな人工呼吸器のついている蘇生後脳症の患者ばかりで、自分もあんな姿でこの先何年も生きるのかってリアルに実感して怖くなったんかもしれへん、今のままで死ぬ方がましやと思うたんやろなあ、と言うと
「俺は治して帰らすのが仕事で、お前は治りも帰れもしない人をずーと看ていくのが仕事で、立ち位置はまったく逆やけどな、それでも最後の最後に『こんなんなって生きたけど、それも思うてたほど悪いもんでもなかった』って本人や家族がちょっと思ってくれたらええなと思ってるやろ?俺も患者はどうしたって死んでいくもんやけど、やっぱり最後に『あの時先生の治療を受けててよかった』ってちょっと思ってもらえたらええなと思うてやってるのは同じやねん。周りの患者見て『死んだ方がマシ』って思われたってことは自分が提供している仕事を否定されたような気がしたんやろ?そういう気持ちがなかったとは言わせへんよ」
そうだったのかなあ、と思う。患者自身の決断として考える以前に自分のしている仕事への評価の現われと思っていたからわたしはその言葉を受け止められなかったのかもしれない。患者に「死なせてくれ」と言われたことのある医療者は少なくないと思う。そのときわたし達の感じる無力感や傷つきの原因はそれだけではないと思うのだが。
「それにな、本人が死にたいと言うてたところで、はいそうですかーって実際に呼吸器外されて苦しい思いしたら、やっぱり死にたくない、死ぬの怖いって思うもんやで。現に人工呼吸器つけるって決心しててもいざつける段になったら迷うたわけやし。人間ってそういうもんやろ」
彼はアメリカに留学していた頃に、たとえ本人が蘇生や延命処置を希望しないと書面にも残し、家族もそれに同意していたとしても、その「決断」は土壇場の土壇場で簡単に覆るケースががいくらでもある、だから書面をそのまま信じると大変なことがあるぞ教えられたのだという。そうかもしれない、数百人もの死に行く人々とのインタビューを通して、死の受容過程のモデルを提唱した精神科医のキュブラー・ロスですら、自身は死ぬその間際まで自分の負った脳梗塞による左半身麻痺という障害を受け入れることもできず、覚悟していたはずの「死」がなかなか訪れないことにも焦れ、そしてあるときはまた「いまだ死を受け入れることができない」とも嘆き続けていたという。
以前、派遣バイトで行っていた病院(入院患者の実に半数近くが生活保護受給者という病院で、場所柄や実質上の病院オーナーのことなどいろいろな噂もあったせいかとにかく時給だけはべらぼうに良かった)で患者の自殺に当たったというエントリを書いた。そのときは書くのを差し控えたのだが、実際は目撃していたのだ。わたしが窓際の流しで手を洗っていたとき、視界の端を確かにひらりと布のようなものがかすめていった、その直後に何かがガラガラと倒れ落ちるような大きな音とともにうわーっという叫び声が聞こえた。わたしははじめそれが飛び降り自殺だとは思わなかった。近くに建築資材屋があったので、そこに積んであった資材が倒れたか崩れたかしたんだろうか、と思っていた、いや、思い込もうとしていたところに掃除のおばちゃんが「裏口に人が倒れているよ」と知らせに来たのだった。あの音と声の順番から考えると、地面に叩きつけられるその瞬間まで意識はあったのだと思う。もしかすると、窓の外を落ちて行きながら、途中の階の窓際で手を洗っていたわたしの姿が見えていたのかもしれない。屋上から地面までのほんの数秒の間に「やっぱり死にたくない」と思い直して後悔したかもしれない。
自分が年老いて動けなくなったら、障害者になったら、生活保護を受ける「社会のお荷物」状態になったなら、迷わず安楽死させてもらう、と一見潔い決意めいたことを言う人もいる。しかしわたしはそういう「宣言」を半分笑いながら聞く
ことにしている。自分が少しでも楽に生きたいがために社会保障費を食いつぶすような他人は死んでもらうのが当たり前と思うぐらいにおのれの生に執着している人間が、年老いたから、障害を持ったからといって自分が死ぬべき側になったことを簡単に受け入れられるものだとはちょっと思えないからである。わたしの母は相方が「身も蓋もない」と称するほどの唯物論者で筋金入りのリアリストなのだが、その母ですら死を選ぶ自信はないという。そして「リアリストいうのはな、自分がそんな状態になったときにどんだけ理不尽な希望を持ってしもうて、どんなブザマな姿でお願いしてしまうやろかってことを現時点でありありと想像できてこそやで」と言って笑う、この人でさえなければと思うことはよくあったが、やはりわたしは間違いなくこの人に育てられたのだなと時々思う。"