論語はアホな上司を追い詰める

四書五経、中でも論語は、朱子学の影響もあって、封建制を支えた思想的「悪者」と
考えられている面がある。
例えば君主に尽くせという道徳律は
君主に都合がよく、家臣にとっては愚劣な教えと
取られることも多いだろう。
君主が鹿を見て馬だと言えば、部下は、たしかにそれは馬だと言うべきだと語るのである。
しかし考えてみれば、われわれ下々の人間が、
真に偉大な指導者に出会った場合、
その指導者に忠義を尽くすことが生きがいだと知るに違いないだろう
逆に、君主は、そのことを思えば、家臣が盲目的に仕えてくれた場合、
その期待を裏切らない、偉大な人物であることが要求さそれる
部下は上司に忠実に仕えろと言っているのは、
そのような忠実な部下にふさわしい、偉大な指導者であるか、
支配者自らが、日々思いを新たにしろと言っているのだと思う
部下は上司に尽くせ、と言われているのをきいたら
上司の立場としては
それにふさわしい上司とならざるを得ないではないか
論語はそういうことも言っているように思う
アホな上司は追い詰められるのである。
しかしながら問題は、上司がアホな場合、そんなことも思わず、
単に、上司に都合のいいことが書いてある本だと思うだけだろう。
どうしようもない。
現在の国税庁長官も、単に権力者の犬になったから栄達したのではない、
権力者が馬だというから、鹿を馬だと言ったのではない、
天命に従い、自分がなさなければならない道があると信じているから、
必至に屈辱に耐えつつ、事をなしつつあるのである。さっさと辞めるのが一番簡単な道だろう。
しかし自分のためにも、組織のためにも、やめられないのである。
(あれ?結論がおかしいな?国税庁長官の話になっておかしくなった。)