スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『チェルノブイリの祈り』

 去年のノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの受賞記念講演が雑誌に掲載された。タイトルは「負け戦」。旧ソ連時代のウクライナに生まれたベラルーシ(白ロシア)の作家である彼女の主著は文庫化され、手に入りやすくなった。権力の好まぬ彼女の物語を、いまこそ読みたい。
 最初の本は『戦争は女の顔をしていない』。旧ソ連は、第2次大戦時、他国と違い、百万を超える女性が従軍し、ときに兵士として戦った。そんな女たちの声を集めた。それから『ボタン穴から見た戦争』。ドイツに占領されたベラルーシでは実に人口の4分の1が亡くなったが、その戦争を目にした子どもたちの声を集めた。そして『チェルノブイリの祈り』。チェルノブイリ原発事故でもっとも甚大な被害を受けたのは、彼女の母国、人口1千万の小さな国ベラルーシだった。その一帯では、多くの人間が亡くなり、故郷を追われ、家族を失った。そんな人びとの間に入り、彼女は声をひろいつづけた。
 アレクシエーヴィチが書くのは小説ではなく、「『大きな歴史』がふつう見逃したり見下したりする側面」「見落とされた歴史」だ。彼女は「跡形もなく時の流れの中に消えていってしまう」無数の声を丹念に一つ一つ、ひろい上げてきた。
 「それは文学ではない、ドキュメンタリーだという意見を何度も耳にしました……では今日、文学とはいったいどういうものを指すのでしょうか? この問いに答えられる人はいるでしょうか?……あらゆるものが自分のいた岸辺を離れます。音楽も、絵画も。ドキュメンタリーでも、言葉がドキュメンタリーの枠を超えてほとばしります」
 いま、独裁化の進む母国ベラルーシにあって、アレクシエーヴィチは「萎縮」も「自主規制」することもなく「大きな歴史」が見逃してきた人びとの声に耳をかたむけつづけている。誰かが、その仕事を担わなければならないのだ。
 アレクシエーヴィチはこういう。
 「私が関心を持ってきたのは『小さな人』です。『小さな「大きな人」』と言っても構いません。苦しみが人を大きくするからです」
 歴史から忘れられてきた無名の「小さな人」たち。だが、彼女の本の中で、彼らは大きく見える。自分の過去と向き合い、何が起きたかを、勇気をもって自分の言葉で語りはじめているからだ。